久保裕也っていつから日本代表にいたっけ?!注目を浴びれなかった不運の才能が爆発中!!

所属クラブではヘントへ最高額の移籍金で入団しゴールラッシュを生み、日本代表においてはホーム埼玉スタジアムにて惜敗したUAE相手に引導を渡す1ゴール1アシストの活躍で注目の的となっている久保裕也選手。しかし、ここまでの道のりは苦難と不運の連続だった。

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ザッケローニが見出した高校生選手の可能性

久保裕也にとってのA代表初招集はザッケローニ監督時代であった。ちなみに当時高校生がA代表に招集されるのは市川大祐以来2人目の快挙であった。ザッケローニ監督は、久保裕也を含む初招集の選手たちについて「非常に将来性のある選手で、私自身でも手元に置いて指導してみたいと思っていました。またそういった将来性のある選手達に期待しているというメッセージを発信したいという考えもあった」とコメントしていた。
かつてセリエAを唸らせた名将に直接指導を受け、タフな海外で成功を掴んできた日本のトップ選手達との練習を共にするなど刺激を受ける機会となったが、結果として久保選手はアイスランド戦に出場し才能の片鱗を披露することはなかった。

欧州挑戦するも自身のスタイルとチーム内の役割にギャップ

A代表初招集の翌年、久保は欧州挑戦を決意しスイス1部リーグのヤングボーイズに移籍するもクラブに獲得要請したのは前年に辞任した前任監督であった。新監督も久保の才能に気付き起用するもそのポジションは本来得意とするポジションとは違うトップ下であった。得意とするプレイスタイルと監督の要求のギャップに苦悩し、出場機会やゴールはあるもスタメン定着までには時間を要した。スイスリーグ3年目になりピッチ上での苦悩に「これでは自分の良さが消えてしまう。ここからはチームプレーをしながらも自分のプレーも出していく」と答えを見出した。自身の中で一定の区切りをつけることでやるべきことが見つかり、状況は好転チームメイトとの連携も上手く機能するようになり2トップの一角としてスタメンに定着した。

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晴れ舞台オリンピック代表に選出されるも・・・

ワールドカップ同様4年に一度、しかも出場できる年齢に制限のあるオリンピックはサッカー選手にとっても特別の大会であるのには間違いない。オリンピックは「オリンピック開催の前年に23歳に達していない選手が出場できる」という年齢制限があることから若手選手の先物買いの場となっている。オリンピックで活躍することが世界での挑戦のステップとなっている。久保裕也も海外で苦難を乗り越えながらもキャリア積み、手倉森監督指揮のもと晴れてオリンピック代表に選出されるがそこでも困難が待っていた。
所属するヤングボーイズはスイスリーグでも強豪チームであった為、リーグ内の成績も良くヨーロッパ各リーグの上位チームが集まり優勝を争う、ヨーロッパリーグの出場権を獲得していた。召集を良しとしていたヤングボーイズであったがヨーロッパリーグ予選を戦う中負傷者が相次いだ為、久保裕也のオリンピック代表召集をクラブの事情で拒否した。結果として日本はグループリーグで敗退したが注目集める場でのプレーを失ったことは今後のキャリアにも大きな影響を与えた。

2017年に入り久保裕也はベルギーリーグ1部ヘントに移籍した。今までの苦悩や不運からは想像もできないほどの活躍を見せ、W杯を前に不安視されているA代表に光をもたらし始めている。不運苦難の雲を割り、光を帯び始めた才能の活躍はまだこれからである。久保裕也の活躍を大いに期待したい。

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